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オオサンショウウオ博物ノート

オオサンショウウオ/大山椒魚/ハンザキ/博物学/その他

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「パビリオン山椒魚」を観たものの…

 友人から「こんな映画が公開されるよ〜」と教えられて、だいぶたってから観てきました「パビリオン山椒魚」。

 映画のサイトにはこんな文句が踊っています。
・伝説の動物国宝、オオサンショウウオのキンジローをめぐるデタラメに愛しい物語
・本物とか、偽物とか、どっちでもいいの。

 不思議な映画です。感覚的な映像とストーリーだと思います。…いや、これ以上ワタシには語る資格はなさそうです。快調なすべりだしにワクワクしたものの、いつのまにか途中でウトウトしてしまったからです。……菊池成孔の音楽はイカシテました。



 パンフレットはレントゲン・フィルム風な表紙で、封筒入りとなっているしゃれたつくりです。
 オオサンショウウオを抱いた二宮金次郎像とか、オオサンショウウオの蒲焼き缶詰とか、メカオオサンショウウオ設計図とか、キッチュでおもしろいアイテムがたくさん。
「本物とか偽物とかどっちでもいい」映画だと思いますが、「実物のオオサンショウウオ」は出てこなかったのではないでしょうか…。「150歳のキンジロー」という年齢からして、すでにフィクションの世界に入っていますから。
 パンフ内では内山りゅう氏がオサエ的な文章を書いています。

 ワタシ的に気になるのは、「15代将軍慶喜公によって1867年のパリ万博に出品された[動物国宝]のオオサンショウウオ」という映画のバックボーン部分です。

 『花のパリへ少年使節——慶応三年パリ万国博奮闘記』(高橋邦太郎/三修社/1980)などを読んでみても、オオサンショウウオについての記述が出てくるはずもありません。
 実際にパリ万博へ行ったのは、慶喜の弟・徳川昭武(あきたけ)を筆頭にした一行です。慶応三年といえば慶喜はパリ万博どころではありません。将軍・慶喜の名代として指名された昭武は、このとき若干14歳。それを支える一行の中には、のちの渋沢栄一やシーボルトの長男などがいます。
 本書の見聞記もおもしろいのですが、オオサンショウウオのことです。
 …しかし資料が見当たりません。この「1867年のパリ万博にオオサンショウウオは海を渡ってパリまで行ったか」という点は、いまだに未確認です。
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